PROFILE
石川由佳子
アーバン・エクスペリエンス・デザイナー / 一般社団法人 for Cities共同代表理事
「自分たちの手で、都市を使いこなす」ことをモットーに、様々な人生背景を持った人たちと共に、市民参加型の都市介入活動を行う。(株)ベネッセコーポレーション、(株)ロフトワークを経て独立、一般社団法人for Citiesを杉田真理子とともに立ち上げ。「都市体験の編集」をテーマに、場のデザインプロジェクトを、渋谷、池袋、アムステルダムなど複数都市で手がける。最近では学びの場づくりをテーマに、日本財団とともに自分のあたり前”ズラす”学びの場「True Colors Academy」や、アーバニストのための学びの場「Urbanist School」、子供たちを対象にした都市探求のワークショップ「City Exploration」を立ち上げ活動中。都市の中で、一番好きな瞬間は「帰り道」。
https://linktr.ee/YukakoIshikawa
はじめて立つことを覚えた瞬間。無意識に一歩踏み出す。呼吸するように当たり前に「歩く」ことを覚えたのは、いつのことだっただろう。フィールドを超え、自らの道を切り拓く人たちが「歩く」ことで出逢う感覚や景色を探る本連載。第5回目は東京・京都に活動拠点を持つ都市体験のデザインスタジオ「for Cities」の活動を起点に、アジアを中心とした世界の都市を横断し建築・まちづくり分野でのリサーチ・企画・編集、教育プログラムの開発まで行うアーバン・エクスペリエンス・デザイナー 、一般社団法人for Cities共同代表理事の、石川由佳子さんにお話を伺う。
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「よそ者」としての都市介入。
ルーツの異なる視点の交わりから
福岡・博多駅から、川端通商店街を抜け、中洲方面へ。車が通れるか通れないかほどの小路には、味わいある佇まいの料理店が所狭しと軒を連ねる。那珂川を渡り、天神中央公園へ向かう。地図は見ない。移動は原則歩きか自転車。行き先を決めるとき、指針になるのは「人に会いにいく」というスタンスだ。選んだ道は振り返ることなく、たとえ遠回りでも通ったことのない道を選ぶ。次の分かれ道は右か、左か。待ち合わせ早々、ためらわず先に進んでいく石川由佳子さんの背中を追いかける。
「どんなまちでも、まずは人に会いにいくことから始めます。そして人の記憶や経験を通じた視点から都市の姿を捉えつつ、活動の起点やハブになっていそうなコーヒー屋さんやコミュニティスペースは点の情報として調べておく。点を結ぶ間の道はフリースタイル。自分で歩いて見つけていくことが多いですね。地方都市に行くと車で案内してもらうことも多いのですが、私の場合、それだとまちを把握できない。車でいくら忙しく動き回っても、なんだかその場所を知れていない気がする。疲れるくらい歩き続けると、この場所は風が気持ち良い、道の成り立ちが面白いなどとリアリティある都市の情報が身体にインプットされる感覚があります」
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「2020年、『for Cities』をともに立ち上げたリサーチャー・編集者の杉田真理子とオランダを訪れ、現地のアーバニストを頼りに、彼らと「見えないケアを可視化する」プロジェクトに取り組みました。
モロッコ系の移民が多いアムステルダムの郊外で、言語的な問題から再開発のプランに彼らの意見が全く通っていない。住民の大半を占めている彼らの声をなんとか可視化できないだろうか、という課題意識から「De Informele Zorgkaart(Informal Care Map)」というサービスを制作しました。自分の言語で投稿したらGoogle翻訳でオランダ語か英語に翻訳されて変換されるようにして、彼らに運用してもらいながら行政に提案してもらう。このときの経験から『よそ者』としてまちに入りながら、必ず置き土産をして帰ろうという理念が立ち上がりました」
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100年後を見据えた
自然と共存する都市
数々の都市を巡ってきた石川さんが、これからの都市を考える上で「よそ者」としてどうしても訪れたかった場所がある。都市開発の進む福岡・天神で、大通りから脇道にそれると現れる、高さ60mほどの森に覆われた巨大な建物。100年後を見据え、いずれ建物が壊されても木々を森に還すことができるよう建設された地上14階、地下4階の官民複合施設「アクロス福岡」だ。現在では約200種類、50,000本もの植物が植えられ、多くの生き物が生息する。
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「『アクロス福岡』が気になり始めたのは2年前のコロナ禍。これからの都市の形を考える際、人間の生態系・生活様式・行動原理に基づくことだけを考えているのでは立ち行かないのではと強く感じるようになりました。「スマートシティ」「国際ビジネス都市」など、様々な都市開発の中長期的なまちづくりをみている中で、人間以外の生態系や自然が置き去りにされている、切り離して考えられていることに違和感を感じてしまって。以前、屋久島で家を建てることで自然を循環させるという実験的な試みがあったのですが、人が手を加えることで自然を活性化することができるのであれば、まちづくりにも活かせるはず。土地ごとの地質、土壌や風の通り道、そのまちに元々存在している生態系を観察すれば、その環境のサイクルの一部を担う存在として、建築を成立させることができるのではと」
頂上からは、高野山と脊振山から那珂川と御笠川が流れ、海で合流するのが見下ろせる。すぐ近くでは高層ビルが建設中だ。一見すると相反するように思われる都市開発と自然環境の保全。それらをひと繋がりに考えるようになったのはサステナブルな都市計画で有名なオランダを訪れたことと、訪れることで見えてきた日本の都市における自然との距離感、土地のもつ可能性に触れたことだ。
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「オランダはエネルギーも自家発電で壁面緑化なども進んでいるのですが、その背景には決して豊かとは言えなかった土地を、自分たちの手で開拓していった歴史があります。川も水位がコントロールされているので海抜より低く、自然には流れていない。豊かな土壌がないので温室栽培が盛んになり、農家の人は土をいじるよりもパソコンを見ているくらいにIT化が進んでいて、毎年どの季節も均等に同じ大きさで美味しい野菜が採れるように栽培されている。それは彼らがそうせざるを得ない状況下で工夫し、研究してきた成果であり、歴史的な自負に基づいた方法とも言えると思います。アムステルダムを訪れて感じたのは、対する日本がいかに豊かな自然と共存している贅沢な国かということでした。そこでいろいろ調べていくうちに『アクロス福岡』に辿り着いた。日本は森林が土地の70%を超えていることも関係してかもしれないですが、森との距離感も日本人的だなと」
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状況の源に何があるのか。
都市を変容させる感性のスイッチ
小学校から中学校の期間をドイツで過ごしていたという石川さんが都市やまちへの関心を持つようになったのは学生時代。日本に帰国した際に経験した環境のギャップを、俯瞰して観察するようになったことに遡る。
「東京という都市に放り込まれた途端、自分は変わっていないはずなのに、目の前にいる人との関係性や自分の性格もどんどん変わっていくことに驚きました。なぜだろうと考えた時、これは取り巻く環境、まちが変わったからなのではないかと。そこから、この『状況』を作っているまちというものがどういう成り立ちなのかに興味を持つようになりました。そこから人間観察や状況観察が好きになり、自分はそこに着地していないというイメージで、目の前で起きている事象に没入せず俯瞰して見てしまう癖がつきました。人をじーっと見つめすぎて、電柱にぶつかるなんてこともありましたね。渋谷に近い高校に通っていたので、銀座線に向かう通路からスクランブル交差点を眺めていたり、通学路は絶好の観察ポイント。そういう遊び方をしていたので、観察眼は無意識にトレーニングされていたのかもしれません」
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遊ぶように都市の状況を観察する。その姿勢の軸になっているのは、イギリスの造園家・福祉活動家のアレン・オブ・ハートウッド卿夫人という人の著書『都市の遊び場』でも紹介される『プレイパーク(冒険遊び場)』での原体験だ。
「あえて危険な遊びをさせたり、ルールを自分たちで考えさせるという方針のもとに設計された公園で、毎日怪我をしながら学んだり道具の貸し借りについてもどう交渉したら物を借りられるのかは幼い頃に毎日遊んでいたプレイパークが教えてくれました。人の能動的な姿勢がプレイパークという状況を創り出している。そうした経験からも、無言のルールの多い都市には特に興味があります。何が人にそうさせているのか、無意識の壁をどう壊すことができるのか。特に、東京はさまざまな物事がシステマチックに管理されているから、考えなくても暮らせる分、情報量も膨大。なんでここが混んでいるんだろう?などとひとつひとつ考え始めると辛くなってしまうから、みんな無意識のうちにセンス(感覚)をオフにして無関心を装い、介入しないようにするしかなくなってしまうのではないかなと。本来は誰もが都市を面白がる才能を持っていると感じていて。どんな些細なことからでもまちを楽しむスイッチを入れられるはず。そしてそのセンスをオンにするきっかけとしてパブリックアートや非言語的なコミュニケーションに可能性を感じていますね」
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偏愛がサバイブできる
都市的状況を求めて
すっかり日も沈む頃、川沿いには屋台が並び賑わい始める。自然な流れが自然に生まれる場所。川の流れが速いところよりも、ゆっくりと留まることのできる場所は、生態系が豊かだと言われている。「中洲」は文字どおり三角州だから、どこかゆったりした空気を感じるのは気のせいではないのかもしれない。「よそ者」として歩いたこのまちも、1日歩いた身体にすっかり馴染んでいるようだ。はじめての土地からの帰り道、石川さんが感じる都市の引力のようなものを教えてくれた。
「車の通り道のようにスピード感を持って移動できる道よりも、立ち止まることもできる、歩きや自転車の通り道のような、少しゆるやかな道、留まることのできる場所の方が、生き物も人も交流が生まれて、カルチャーが発達するのかなと考えると自然の摂理に適っているのかもしれないですね。歩けるスケールにいろいろな風景があるまちは、自然と賑わいも生まれていく。歩いていて惹かれたのは、偏った愛を感じる場所。ふつうは飛び抜けている偏った存在は目立ちますし、下手すると潰されてしまう。けれど都市には無関心な人が多くて、無言のルールが存在している反面、隣の人が何をしていようと気にしない。ある意味ドライだけれど感性を殺さずに生きていけるし、人の数も多い分、共感してくれる人に出会えるチャンスがあるところが都市の魅力なのではないかと。彼らって自分の感覚を超えてくるストーリーを持っているから、そんな偏愛のある場所や人がサバイブしている都市的状況に、これからのまちを面白くしていくヒントがある気がしています」
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Edit+Text:Moe Nishiyama